去年秋NHKで放送されたドラマ(年末に再放送)。
妻と娘のために福袋の行列に徹夜で並ぶさえない中年男,宝福喜朗(國村隼)。そこに誘拐事件がからんで話がどんどんおかしくなる。
出て来る多彩な人物がすべて何か秘密を持っているかに見える。行列の人々,それと関係ない人々…何もかも巻き込みつつ,とんでもないリンクの連鎖反応ですごいことになっている。なのに本人たちは何が起きているか知らない。その状況を監視する警察の大河原管理官(渡辺いっけい)が,何でもない出来事をいちいちねじ曲げて解釈,それが混乱のおもしろさに拍車をかける。
こういう話が好き。もしかして,今までに見たドラマの中で一番好きかも。笑いのツボをつく場面のつるべうち。始めから終りまでただおかしくて楽しくて,後半になると見終わるのが惜しくてしかたがなかった。
「間接キスだね」という沙也加(平愛梨)の台詞に,「ぐふ,ぐふ…」と怪しい笑いをかみ殺したのはワタシだけではないはず。何て罪作りでキュートでまっすぐでかわいい…宝福喜朗でなくても夢中になるのは世の必然。参ったなー(そんなところにばかり注目していたわけではない)。
よく出来た脚本に加えて映像センスがシャープでドラマ全体がきりりとした仕上がりになっている。10年に一度の収穫。
2010年1月31日
2010年1月28日
道に迷う
初めて行くクライアントのビルが見つからない。大阪なんばはたぶん10年以上来ていないし,もともとミナミはなじみがないにしても…。
御堂筋なんばからJRなんばへの道がこんなにわかりにくいとは思いもしなかった。もちろん前もってネットで調べてはいたけれど,実際にその場所に立ってみると何が何だか。中途半端にわかっているつもりだからとめどなく道がそれて,30分以上うろうろするはめになる。冬なのに汗だく。
前日,担当者が電話で「市内の人の方がかえって迷う」 と言うのを聞いた時は,まさかそんなことと思ったけれど,こういうことだったのか…。
まあいい…。約束の時間にはだいぶ遅れたけど。
家に帰ってからウチの子にその話をすると,「ちゃんと謝ったか?」と言われてしまう。親父がバカ息子に言ってるみたいで笑える(っていうか,笑っている場合か)。
余談だけれど,つい先週,東京から来た別のクライアントの担当者が,その足でなんばへ取材に行くとかで,行き方を訊かれたことがあった。余裕で教えてさしあげたつもりだけれど,無事に行けたのだろうか…。突然わき起こる不安。
御堂筋なんばからJRなんばへの道がこんなにわかりにくいとは思いもしなかった。もちろん前もってネットで調べてはいたけれど,実際にその場所に立ってみると何が何だか。中途半端にわかっているつもりだからとめどなく道がそれて,30分以上うろうろするはめになる。冬なのに汗だく。
前日,担当者が電話で「市内の人の方がかえって迷う」 と言うのを聞いた時は,まさかそんなことと思ったけれど,こういうことだったのか…。
まあいい…。約束の時間にはだいぶ遅れたけど。
家に帰ってからウチの子にその話をすると,「ちゃんと謝ったか?」と言われてしまう。親父がバカ息子に言ってるみたいで笑える(っていうか,笑っている場合か)。
余談だけれど,つい先週,東京から来た別のクライアントの担当者が,その足でなんばへ取材に行くとかで,行き方を訊かれたことがあった。余裕で教えてさしあげたつもりだけれど,無事に行けたのだろうか…。突然わき起こる不安。
2010年1月24日
「サイドマン 〜ビートルズに愛された男〜」を見る
クラウス・フォアマン…ビートルズ「Revolver」のジャケットデザインやジョン・レノンのソロアルバムでのベーシストとしての仕事は知っていたけれど,こういう人物だったのかと初めて理解する。
音楽と絵画の間で揺れ続けながら着実に業績を残していったドイツ人アーティストの半生が描かれる。
数々のモノクロームの絵が美しい。華やかな業界とは対照的なクラウス・フォアマンの謙虚さそのもの。仕事としてのグラフィック・デザインに言及するシーンがあって,半端なアーティスト指向とは無縁のドイツ職人気質みたいなものが覗く。そこがとてもよい。
音楽面でびっくりする場面も出てくる。何十年ぶりかで会うカーリー・サイモンが「うつろな愛」の冒頭のベースのフレーズをベロベロベロと口まねしてその当時のことを語る(プロデューサーのリチャード・ペリーも同じようにベロベロベロとやるのがおかしい)。そして,その次の画面で,クラウス・フォアマンがベースでそれを弾くところのアップ。あの印象的なイントロが彼だと今初めて知る。さりげないけれど,このドキュメンタリーの中で最高に感動的な一瞬。
90年代のビートルズ・アンソロジーのジャケットデザインも彼だったけれど,ああいうカラフルなものよりモノクロ作品の方がよさが出るというのが,どこまでいっても控えめなクラウス・フォアマンの本質か。
才能に恵まれた「サイドマン」の光が全編に感じられて,見終わった後もしみじみ。
音楽と絵画の間で揺れ続けながら着実に業績を残していったドイツ人アーティストの半生が描かれる。
数々のモノクロームの絵が美しい。華やかな業界とは対照的なクラウス・フォアマンの謙虚さそのもの。仕事としてのグラフィック・デザインに言及するシーンがあって,半端なアーティスト指向とは無縁のドイツ職人気質みたいなものが覗く。そこがとてもよい。
音楽面でびっくりする場面も出てくる。何十年ぶりかで会うカーリー・サイモンが「うつろな愛」の冒頭のベースのフレーズをベロベロベロと口まねしてその当時のことを語る(プロデューサーのリチャード・ペリーも同じようにベロベロベロとやるのがおかしい)。そして,その次の画面で,クラウス・フォアマンがベースでそれを弾くところのアップ。あの印象的なイントロが彼だと今初めて知る。さりげないけれど,このドキュメンタリーの中で最高に感動的な一瞬。
90年代のビートルズ・アンソロジーのジャケットデザインも彼だったけれど,ああいうカラフルなものよりモノクロ作品の方がよさが出るというのが,どこまでいっても控えめなクラウス・フォアマンの本質か。
才能に恵まれた「サイドマン」の光が全編に感じられて,見終わった後もしみじみ。
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