2011年6月30日

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ここかしこでせいぎをふみしめて。

2011年6月28日

掛時計を買う



数字を使わない,できれば秒針もない掛時計を探す。思い通りのものはなかなかなくて,財布と相談しながら何とか折り合いをつけたのがこれ。

カチカチ進まない連続秒針というのはヌエみたいで快感(たとえが間違ってる…)。

プライウッドのふちはクラシックモダン? そっけないデザイン。でも,仕事場の壁にはこれが今のワタシの気分。こういうどうでもいいことが案外重要だったりする。明日からは仕事がはかどってはかどって困る…予定。

2011年6月24日

いろいろ間違える

発端というのでもないだろうけど,半年近く前の請求書の日付の間違いに今頃気づいて訂正と謝罪のメールを送ったのはワタシ。それに触発されたように間違い訂正メールが行き交う。

納品日であったり,イラスト点数&制作費確認であったり,訂正のメールなのにどこを訂正しているのかわからなかったり,歯車がどこかでずれたみたいな状態。

それと関係あるのかないのか,このところメール本文で名前を間違えられることが多くて,その度に苦笑していた。相手の名前の漢字を間違えるのはワタシも時たまやってしまうのでそういうのには寛大。O型のヒトはしょうがないなーと,勝手に共犯者に仕立て上げてやりすごすのが常。

「浅葉」には慣れた。きのうは「遠藤様」で始まるメールもあったけど驚かない(誰なんだとは思うけど)。ただ同じくきのうの「浅羽一郎」は何かものすごく違和感があるような…(昔,何年か続けて浅羽一郎宛てで年賀状をくれたヒトがいたけどそのヒトは本当にO型だったなー)。

蒸し暑い日が続く…。

2011年6月22日

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かってにとおるらくちんこみち。

ドラマ「名前をなくした女神」を見る

「ようこそ,ママ友地獄へ。」というキャッチそのままに第1回はいかにもどろどろで,うちの奥様など早々に逃げ出してしまった。どうしようかと思ったものの恐いもの見たさもあってひとりで最後まで見る。

お受験を軸にした5組の親子の話は確かに「うえー…」となる部分もあったけれど,なぜか回が進むにつれて爽やかささえ感じる展開に。

持ち回りみたいに悪役が変わる脚本がおもしろい。そのはざまで苦しむ子どもたちがいたいけで,しかもかわいく撮られているので,危機を乗り越えるたびに見る側はわがことのように胸を撫でおろすことになる。

男の子も女の子もみんなかわいいなー。5人のママたちはあんまり興味ないかな…(こんな感想は珍しい)。

うまいなと思うのがエンドロール。アンジェラ・アキの歌をバックに登場人物のママたちの複雑で重苦しい表情が続いたあと,後半「世界一長い夜にも必ず朝は来る…」のあたりから一転して各人晴れやかな笑顔とポーズになる。この部分のカタルシスがドラマ全体にまで波及しているかと思われる。

最終回,最後の締めに演出がいらないことをやってるけど,とても楽しめたドラマだったので許す(何様?)。

2011年6月19日

佐藤きよあき「0円からできる売れるお店の作り方」を読む

昔デザイン事務所に勤めていた頃隣の席でコピーライターやっていたS某。本を出したとかで,1冊送ってくれたので読む…っていうか,拾い読みだけど(すみません)。

ワタシはお店をやっているわけではないけれど,ウェブサイトを開いてイラストの注文を取っているという点ではお店と同じかも。義理で読み始めたこの本(重ね重ねすみません),いつのまにかけっこうまじめに読んでいたりする。

著者の口車に乗せられている?

内容に関しては,ふだん何となく思っていることをはっきり言葉にしてくれているといったところ。AHA! という不意打ちはないものの,そうなんだよねーと,うなずくところ多々あり。あとは実行あるのみなんだけど,これがなかなかむずかしくて…。こういう場合の処方箋ってないのかしらん。

一般のお店とイラストレーターでは事情が違うからまあいいか。

一か所気にかかるのが「step 3 つなげる」の最後の方に出てくる「人はなんとなく飽きてしまう」という項目。お店や商品に不満はなくてもお客さんは飽きてしまうことがあるという。

それは確かにそう。ワタシの問題は,それ以前に自分で自分のイラストタッチに飽きてしまうという点。これは器用貧乏な人の不治の病みたいなもの? 「欲望」のおもむくままあれこればらばらのイラストを描くのでは,「アナタ一体何がやりたいの」と問われることになる。

プロフェッショナルであるためにこうして迷走し続ける日々ではあるけれど,これがまたおもしろいとも言えるわけで。みんなそうなのかなー。

2011年6月14日

「キサラギ」を見る

'07年,佐藤祐市監督。

自殺したアイドルの死の真相を,ファンサイトを通じて知り合った5人の男が明らかにして行く。一つの部屋の中でほとんどすべてが進行。笑いのまぶし方も抜け目なく,くるくる変わる犯人像に,張りめぐらされた伏線はあまりに律儀,こういうタイプのミステリの教科書のようでもある。

古沢良太のオリジナル脚本は完璧。

そのスキひとつない出来上がりが怖くなったからでもないだろうけれど,ラストのアレとアレはどうなんでしょ(特に最後の最後のアレ)。首を傾げながらも,「これもご愛嬌」と笑って見逃すのがオトナの対応?

2011年6月9日

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いしだんをあがってふりかえれば。

2011年6月8日

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おもってもみないすてっぷ。

2011年6月6日

「曲がれ! スプーン」を見る

'09年,本広克行監督。

喫茶店「カフェ de 念力」に集まったエスパーたちにTV番組AD(長澤まさみ)が間違って遭遇。そこで巻き起こるドタバタ劇。とりたててすごい話が展開するというわけではないけれど,気楽なお話でワタシは割と好き。

元になったヨーロッパ企画の舞台劇(DVDで見た)よりすっきりしてわかりやすく感じるのはなぜ?

長澤まさみはまあまあキュートに撮れていると思いながら見ていると,うちの奥様が「一番太っていた時期でかわいくない」と横槍を入れる。情けというものがないのか,キミは…。

最後の方は超常現象を中心にサービスしすぎではあるけれど,ヒロインにスポットライトを当てるためならこれくらいやってもかまわない。終り近くで,あるやり方で気持を伝える場面など,わざとらしくもうまくできていると思うし。

地味にとっちらかった楽しい佳作。満足,満足。

2011年6月4日

「早川良雄ポスター展」を見る

国立国際美術館。画集や原画展で何度となく見て来たのでポスター展はそれほど期待していなかったのだけれど。

絵としてではなく,最終完成形のポスターとしてあらためて見直すと,時代の空気みたいなものが濃厚に出てくるのがおもしろい。

ヘッドコピーとボディコピー全部に斜体をかけた伊奈製陶のポスター(デザイン担当は不明)など,文字送りを詰めすぎていて,曲芸みたいな風情。今の目から見るとエネルギーの使い方を間違ってる。文章の方はいたってまじめな内容で,その落差が想定外のおかしみを生む。作られた80年代にははやりのデザインだったものが時間の経過とともに時代感覚とずれて,それゆえに新しい価値が出てくる不思議。

ふんわりした色にだまされそうになるけれど,絵の描き方は相当変。緑で鼻を塗って鼻の穴は赤。過激派。大きな画面で見ると筆の物理的な速さもはっきり想像されて,早川良雄の絵の力の秘密を再認識したような気がする。それが今日の収穫。

ひとつだけ残念なのは,大好きな京阪百貨店のポスターがなかったこと。

2011年6月3日

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あたまのもんだいとはいうものの。

2011年6月2日

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おこがましくもかっさらう。

2011年6月1日

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ばたーぽっぷあわー。