2011年3月30日

マーカーで描く


輪郭線なしのイラストのカラーラフを描く必要にかられて,どの方法を取るか迷った末,マーカーで行くことにする。

仕事で最後に使ったのは5年前だったか,10年前だったか…。インクがひからびもせず今も使えることに感謝。試しに描いてみるとなかなかいい感じ。細部が描きにくい欠点はあるけれど,Photoshopで修正すれば何とかなる。

基本的にはアナログで色をつけるのが嫌い。そんな中,マーカーやパステルは色を混ぜたり乾かしたりしなくていいので少し許せる部分もあるかなー。

20世紀にはペラペラに見えたマーカーの絵が,デジタル全盛の21世紀には,紙一枚の厚さゆえか深い味わいさえ感じさせるのが不思議。だからといってマーカーをメイン画材にするわけにいかないのがむずかしいところなんだけど。

2011年3月27日

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かじつのがんちく。

2011年3月26日

「真珠の耳飾りの少女」を見る

'03年,ピーター・ウェーバー監督。

絵を描くという行為の周辺は一筋縄ではいかないのよ,それが純粋ゲージュツであろうと,純粋ビジネスであろうと…。

フェルメールの家にメイドとしてやって来た少女グリート(スカーレット・ヨハンソン)。光や色や構図に対して鋭い感覚を見せて画家を刺激する。構図の「アドバイス」までする。

それを見て,「あり得ない!」より「あるある!」に傾くワタシは,自慢ではないけれど,うちの奥様の意見を聞いて描きかけの絵の方向を変えた経験が何度もある。天才的器用ビンボーのワタシでさえそうなのだから,フェルメールだってきっと似たようなことがあったに違いない…。大いにうなずく(フェルメールを自分と一緒にしてどーする)。

だからといって,画家とモデルの官能的(またはヘンタイ的)な関係になって,ややこしい事態を引き起こすかどうかは人それぞれで,別の問題。奥さんをプッツンさせてはだめでしょう,フェルメールさん。

わかっちゃいるけどやめられないのが人の世の常…か。

ひとごとのようにそんなことを考えながら,わが身を振り返る。幸いワタシの場合は数々のアブナい妄想が自分の頭の中だけにとどまっているので平穏無事な毎日をすごしていられるのかも。

この映画を見たあと,しばらくしてから,うちの奥様の元仕事仲間I某とたまたま電話で話す機会があって,世間話から突然「浮気したらあかんよ」などと言われたが…。なんでそういう話になる?

そんなこと絶対しないと答えたのは当然。それに続けて「頭の中ではほとんど毎日浮気してるけど」と馬鹿正直に口をすべらせたのは必然。大体その前にI某自身が子ども2人産んで巨乳になったとか,胸のなんとか筋を鍛えていたから今でも垂れていないなどと,変な話をするからいけないのだろうと思われる。絵を描くヒトは妄想が大切,みたいな激励(?)までするし…。

21世紀にフェルメールやっていくヒトたちはみんなご苦労さんだなーとつくづく思う(どこまでいってもひとごと)。

2011年3月22日

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ねむりのもりにいってみる。

2011年3月21日

「HERO」を見る

'02年,チャン・イーモウ監督。

チャン・ツィイーはいいなーというのがワタシの最大の感想。「襲われる」場面での,何とも言えないズルそうな微笑みが,見たいような見たくないような,怖いような気持ちいいような…で,夢に出てきそうなくらい良い。もっと活躍させてほしかったけれど,それはここでは無理な相談だろうなー…。

お話はどんでん返しのためのどんでん返しのような構成で,20年前に見ていたら楽しめたかもしれない(今はちょっと…)。

色を全面的に押し出した様式美や派手なワイヤーアクションはお笑いと紙一重。ここまで徹底すればただただ見事。いいとか悪いとかを超越している。やるのならここまでやらないとだめなのだと頭をはたかれる。

大量の矢の表現について,どうでもいい私的な疑問がひとつ。昔,黒澤明の「蜘蛛巣城」の終盤で突き刺さる矢を見た時にはいたく感動したものだけど,今回の圧倒的な矢の場面では感心こそすれ,それほどの感銘を受けなかった。ワタシがスレてしまったのか,感性が鈍ったのか,それとも作品自体の出来の差なのか…。「昔は良かった」などと,年寄りの繰り言めいたことは死んでも言いたくないしと,ちょっと悩む。

2011年3月19日

「千と千尋の神隠し」を見る

'01年,宮崎駿監督。

無神経とも見える両親に連れられて,あれよあれよと千尋が異界へ引き込まれる冒頭は巧みだけれど…。

主人公が全く興味の持てないタイプ。出てくるキャラクターがどれも好きになれない。中国風・日本風デザインの背景が生理的にダメ(自分が根っからの和風嫌いなのか…)。

それでも最後までそれなりにおもしろく見せるし,グラフィックに関してはほぼ完璧。どうしたものか…文句を付けるのもなんだしねー…と,ちょっと困ったりする。

キャラクターの中で唯一おもしろかったのが巨大な赤ちゃんの格好の「坊」。 ネズミに姿を変えられてからの動きもかわいくて,ワタシとそりの合わないこの力作の中では,数少ないほっとする部分。

いつもながら,結局は好みの違い,ということで…。

2011年3月16日

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ちょっきんぶるーのとうそう。

2011年3月7日

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ぐずぐずとりでまであと42きろ。

2011年3月5日

ドラマ「てっぱん」を見る

このドラマにおいてはなぜかこの人。何といっても柏原収史。

大阪と尾道の言葉がとびかう中,ひとりだけさらりと標準語を話す。それはいいとして,その台詞がいつもいつもつまらない。はじめは何となく浮いているだけかと思っていたけれど,見続けるうち,静かなギャグ(?)なのだとわかってくる。面白くも何ともない存在であることがギャグという,朝ドラではたぶん前代未聞の登場人物。

演出がまた「これ,面白いでしょ」などと押し付けがましい見せ方をせず, 知らぬ顔で普通に撮るものだから,その趣向に気づかない人もけっこういるのではと,よけいな心配をしたりする。

12月の放送では,クリスマスコンサートの場面でおもちゃの赤い丸い鼻をつけて指揮棒を降る姿がおかしかった(あまりに自然,よく見るとどうも変)。

年が明けてからは,ドラマ全体がまともな方向へ走って,ちょっと不満だったけれど,昨日久しぶりにクリーンヒットともいうべき場面が出てきた。冒頭,小型ビデオカメラで撮られる柏原収史の正面アップ。一言つぶやいた言葉は「ヴィデオレター?」。上の歯で下唇をしっかりかんで中学生みたいな「v」の発音。演出はそれを強調するでもなくただ淡々と話を進める。

何という奥ゆかしさ。っていうか,ほんの一瞬,そんなどうでもいい個所に凝ってどうするんだ…。最高。好きにならずにいられない。このセンスを見るためにこのドラマを見ているようなもの。

延長線上には,何があっても不機嫌な顔の陸上選手滝沢(長田成哉)というのもある。イケメンとのギャップがおかしい。

それから尾道の和尚の役の尾美としのり。ノリノリで演じていてそれが伝わってくるので見る方も楽しい。

ともさかりえが変な大阪弁(いわゆる飯がまずくなる大阪弁)をしゃべりまくるが,これは「へたな大阪弁をしゃべりたがる地方出身者」という設定。気がきいてる。

全体を見渡すと,古めかしい話に良くも悪くも完全無欠の朝ドラヒロイン。そんな状況でこんなに楽しいものができてしまうのは,やっぱり才能かな,それとも制作現場に気まぐれな神様がひょこっと現れたのかな…物語は佳境に入ってヒロインの恋で盛り上がりつつあるけれど,それとは全然違うところに注目して感激しているワタシのような人間もいるのだと,しっかり書きとめておく。

2011年3月2日

「クワイエットルームにようこそ」を見る

'07年,松尾スズキ監督。

精神科の病棟を舞台にした話というのはどうも苦手で,これも好きな作品ではないけれど,サービス精神いっぱいにきちっと作ってある感じは好感が持てる。

主役の内田有紀が意外にもきれいに撮られている。切り口が変わると見え方も変わって新鮮。蒼井優・りょう・大竹しのぶもそれぞれの持ち味をフルに発揮してなかなかの見もの。

でも,何よりもワタシの心の琴線にふれたのはナース山岸役の平岩紙。どこからもどろどろしたものが出てきそうな場所で,唯一自然でふんわりやさしいお日様のような存在にほっとする。見れば見るほどチャーミングに見えてきて困る。

まさかこんなことになるとは…。

この作品を思い出す時に浮かぶのは平岩紙の姿だけということになりそうだけど,何となく幸せな気分だったりするから,まあいいか。いいものを見たなー。

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まわりくどいがっつもすこし。