'03年,ピーター・ウェーバー監督。
絵を描くという行為の周辺は一筋縄ではいかないのよ,それが純粋ゲージュツであろうと,純粋ビジネスであろうと…。
フェルメールの家にメイドとしてやって来た少女グリート(スカーレット・ヨハンソン)。光や色や構図に対して鋭い感覚を見せて画家を刺激する。構図の「アドバイス」までする。
それを見て,「あり得ない!」より「あるある!」に傾くワタシは,自慢ではないけれど,うちの奥様の意見を聞いて描きかけの絵の方向を変えた経験が何度もある。天才的器用ビンボーのワタシでさえそうなのだから,フェルメールだってきっと似たようなことがあったに違いない…。大いにうなずく(フェルメールを自分と一緒にしてどーする)。
だからといって,画家とモデルの官能的(またはヘンタイ的)な関係になって,ややこしい事態を引き起こすかどうかは人それぞれで,別の問題。奥さんをプッツンさせてはだめでしょう,フェルメールさん。
わかっちゃいるけどやめられないのが人の世の常…か。
ひとごとのようにそんなことを考えながら,わが身を振り返る。幸いワタシの場合は数々のアブナい妄想が自分の頭の中だけにとどまっているので平穏無事な毎日をすごしていられるのかも。
この映画を見たあと,しばらくしてから,うちの奥様の元仕事仲間I某とたまたま電話で話す機会があって,世間話から突然「浮気したらあかんよ」などと言われたが…。なんでそういう話になる?
そんなこと絶対しないと答えたのは当然。それに続けて「頭の中ではほとんど毎日浮気してるけど」と馬鹿正直に口をすべらせたのは必然。大体その前にI某自身が子ども2人産んで巨乳になったとか,胸のなんとか筋を鍛えていたから今でも垂れていないなどと,変な話をするからいけないのだろうと思われる。絵を描くヒトは妄想が大切,みたいな激励(?)までするし…。
21世紀にフェルメールやっていくヒトたちはみんなご苦労さんだなーとつくづく思う(どこまでいってもひとごと)。